★9月24日:
朝早くから忘帰洞のお風呂に入った。
昨夜は遅かったので当たりの景色が分からなかったが
今朝はほんとに感激した!
まず洞窟から水平線が見え・・・波の打ち返す音・・・
音響が洞窟に響く・・・これが身体に伝わる・・・
ドドン・・・ズズ・・・ドドン・・・ズズ・・・
これの繰り返し・・・
更に気持ちのよい風が身体を通り抜けて行く。
遠くの雲のたなびく合間から茜色の帯が見える。
ほんとに気持ちのよい朝風呂だった。
朝食は・・・レストラン龍宮・・・
ここはホテルの最大のバイキングホールで
ここも数百人は入れそう。
和食・洋食・・・果物・飲み物など朝から満腹でした。
* 7:40分集合 7:45 乗船
8:00 バススタート
街を抜けるとすぐに那智の滝 に着いた・・・
http://kumano-guide.com/midokoro/midokoro.html#taki
*那智の滝
日本三名瀑の一つ。
烏帽子岳に端を発し、数本の支流をあわせ駆け下る那智川水系に架かる60余の滝のうち
一番大きなもので、 熊野カルデラと呼ばれ1400年前に噴火したと言われる
火山活動の形骸により形成された地形にできた滝で、
落差133mの日本一の高さを誇ります。
俗に四十八滝といわれるのは瀧篭修行の行場として扱われた滝に由来しており、
この滝は「一の滝」と呼ばれました。
★再びバスに乗り、5~10分程度で那智大社 ・青岸渡寺 のお参り。
なりの階段がある。
http://kumano-guide.com/midokoro/midokoro.html
二の鳥居まで470段、拝殿の三段を足して473段の階段を上りきると、
那智大社の本殿へお参りできます。
(467段と記載されているガイドブックも有りますが、本当のところは何段なのかは未調査です)

お参りして;
9:35頃 バス出発・・・
1時間程度で 熊野大社 お参り~11:30まで
→高野山
高野山へはバスで2時間30分位だったと思う。
那智から一旦本宮まで戻り→熊野街道→
十津川→龍神スカイライン→高野山
のルートの様だ。
途中・・・
13:05 頃 龍神ドライブインでトイレ休憩。
高野山到着の後、一の橋表参道から奥の院へ向かう。
途中には各企業の供養塔が立ち並ぶ。
新明和のロケットやUCCのコーヒーカップ、その他の有名企業も・・・
その奥の墓所には戦国時代の武将の墓が続く。
豊臣家:織田信長:などなど。
http://enosan.blog.so-net.ne.jp/2007-11-14
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高野山は言うまでもなく・・・
空海・弘法大師の開いた高野山真言宗の 総本山金剛峯寺。
【金剛峯寺】
寺院群の東端にある一の橋から二の橋を経て御廟橋まで、
約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。
御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院である。
一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、
その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。
空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、
今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。
「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。
御廟橋

奥之院弘法大師御廟(ごびょう)に一番近い橋を「御廟橋」といい、
「ごびょうのはし」とは読まず、どういうわけか古来より「みみょうのはし」と呼んでいます。
又の名を「無名橋」とか「無明橋」と書いて「むみょうのはし」と言う場合もありますが、
本来は、「御廟橋(みみようのはし)」のようです。
御廟橋の敷板石数は36枚ありまして、
それぞれに金剛界曼荼羅1461尊の内の代表37尊の諸仏諸菩薩の
象徴、種子(しゅじ)というものが梵字で板裏に彫られています。
板数が一枚足らないのは橋全体を一つと見ているからだと言われています。
これに対して、胎蔵界は何処に当たるのかといいますと、大伽藍が胎蔵界だというのです。
弘法大師御廟(国史跡史蹟)。
燈篭堂は仏教寺院には珍しい拝殿の形を持ち、その最奥部に弘法大師廟が祀られている。
燈籠堂(とうろうどう)。
この裏にあるのが御廟でした。
http://www.flow-stock.com/jisya-kinki/koyasandanokunoin.html
奥の院からの帰路に英霊廟にお参りした。
★世界大戦・英霊廟:英霊供養堂忠霊殿
二次世界大戦で犠牲になった方々には心から哀悼の気持ちが湧いてくる。
身内にも犠牲者が居るし、父母が戦った戦中・戦後の苦しい生活を思い出す。
心がスッキリ洗われた様な気分になった後、中の橋に戻った。
15:50 高野山のおみやげ店に案内される。
幾つかお土産を買った後・・・ケーブルで極楽橋駅まで
ここから16:50発の特急で,なんば駅着18:10
その後は途中で夕食を取って帰宅した。
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