添乗員手記
前置き 今回は少し趣を変えて「スロベニヤ・クロアチア」に出かけた。
添乗員の名前は“山田かおり”さん。
若く元気でウイット、ユーモアにあふれて、
当然かも知れないが巡る観光地の説明すべき内容をほとんどすべてそらんじている。
現地のガイドさんの省いた事はもちろん知らないことも付け加える。
こんなガイドさんは今までに出会わなかった。

過去数回海外旅行をしたがいつも添乗員は「まーまー」だった。
特にひどいのは1度あった。
ところが今回の彼女は冷静・沈着トラブルでもいつの間にか一行の気持ちを
落ち着かせてお得意のウイット・ユーモアで安心させていた。

*国境で他のツアーが数分で通過して行くのに我々のバスだけ
“いちゃもん”を付けられて1時間近くも留められた・・・

*帰路の最後、空港を目の前にして田舎道に迷いこみ・・・時間は迫るし
・・・どうなるか!?・・・と思ったが無事に予定のフライトに乗る事が出来た。
・・・
このようなトラブルに加えて日々の案内で忙殺されているにも拘わらず
毎日旅行の日誌、手記をしたためて、参加者にコピーを配布してくれた。

いわく「みなさんは10日も旅行するとお疲れになっていつどこで何を見たか?!
・・・名前も思い出せない・・・と言う方がおられたので
・・・簡単にメモしました」との事。

ホテルの便箋、A4・3枚にびっしり書いてあった。
たまたま名前が同じであったので出来の良い我が娘に案内してもらった気持で
無事に成田に帰着した。

彼女の快諾を得たので手記をほとんどそのまま転載させて頂く。
写真は私の撮影。イラストは彼女の描いたもの。
第1日

【山田かおり作】
【クロアチア・スロベニア・ボスニア・ヘルチェゴビナ10日間】
★第1日:2009520日(水)はれ27℃ 

7:35成田国際空港第@ターミナル南ウイングKカウンター集合
9:35LH−0711便(ルフトハンザ航空)成田発
14:15フランクフルト着 
時差マイナス7時間(フライト11時間40分)

                     
16:50LH−3634便  (フランクフルト発)
18:15オーストリア・グラーツ着(フライト1時間25分)
バスにて、オーストリアとスロベニアの国境シュペルフェルト
(おもちゃの街の意)を越え、スロベニアで2番目に大きい街
マリボルを通り、アシスタントのヤスミナさんを降ろした後、
首都リュブリャナへ。
本日はフランクフルトもグラーツもスロベニアも夏のように
あたたかくヨーロッパの人々はみんな半袖で
夜おそくまで外で談笑する姿が見られました。

21:05ホテル着。長い旅おつかれ様でした!!
〈宿泊ホテル:スロベニア首都リュブリャーナ:パークホテル泊〉

第2日

★第2日:5月21日(木)  

晴れ27℃ガイドROKさん 
9:00ホテル出発。見事なスキンヘッドのガイドのロック
さんと徒歩にて旧市街へ。

街を流れるリュブリャニッツァにかかる“竜の橋”を渡り、
ケーブルカーに乗車。

約75M程の丘のてっぺんのリュブリァ−ナ城内展望台へ。
旧市街から新市街、アルプスの山々まで
見渡すことができました。
青空市場にて果物のお買い物を楽しみ、大聖堂へ。
バロックスタイルの教会の美しいフレスコ画や
ヨハネパウロ2世(前ローマ法皇)にささげられた
個性的なドア等鑑賞の後、
市庁舎→スロバニアを代表する建築家ヨジェ・プレニック作の
“三本橋”を渡り、プレシェ−レン広場へ。

【プレシェーレン】
2ユーロコインのモデルにもなった彼の亡くなった
2月8日は国民の休日。

スロベニヤの国歌も作った詩人です。

『陽が昇るところ、戦いはこの世から消え、誰もが自由な同胞となり、
境を共にするものは鬼ではなく隣人となる。
その日を待つ民すべて久しかれ』

大国のすきま、民族のるつぼの中でもがいてきた
旧ユーゴスラビヤの詩人が苦悩の中から切なる願いを
込めて作った詩でございます。

リュブリャーナ大学の校舎、スロベニヤ・フィルハーモニーの並ぶ
“コングレス広場”
よりバスに乗り、約1
時間北西の方向にすすみ、
ユリアンアルプスのふところに抱かれた街“ブレッド”へ。
100Mの高い丘の上にそびえる城には中世の時代歴代の
司教さんがくらしていました。 

息の切れる坂を登ると絵のように美しい山
“ストール山(長イス山の意)”2220mがそびえ、
本日は司教さんたちの食堂でもあったレストランにてブレッド名物
“黄金のます(ナチスヒトラーのマス)”を召し上がり、
博物館やワインセラー、グーテンベルクの印刷所等
中世の服を着た人々と城内の見学を楽しみ、丘を降りて、
手漕ぎボートにてスロベニヤで唯一の島でもあるブレッド島へ。
湖のほとりに日本の歴代皇室の人々も宿泊した
“ホテルビラブレッド”(元チトー大統領の別荘)が見えました。




島につくと99段の花嫁階段を登り、てっぺんの
“聖母マリア被昇天教会”の望みの鐘を鳴らしました。
ボートにて再び島を後にし、湖(6km)を一周しホテルへ。

スープがつくまでサラダバイキングを取りに行くことのできない伝統ある
ホテルクリムの夕食の時間まで
近くのショッピングセンターや聖マルチヌス教会近くを
散策された方もいらっしゃいました。

〈スロベニヤ・ブレッド/ホテルクリム泊〉

第3日

★第3日 5月22日(金) 晴れ

8:00ホテル発。本日も晴天なり。
ブレッドより南下してポストイナ鍾乳洞へ。
アメリカのマンモスケーブに次ぐ巨大洞窟の整備された5kmの行程を
片道2kmをトロッコにて移動、真中の1km間を英語ガイドさんと
徒歩にて観光しました。

ヴェリカゴラ(大山)→ロシア橋→スパゲティホール
→ブリリアント(輝き)と呼ばれる真っ白な柱、
赤や灰色の美しい鍾乳石の部屋の数々をすすみ、
コンサートホールを経由してトロッコにて出口へ。

 ≪ポストイナ鍾乳洞のシンボル類人魚≫

敷地内のレストランにて七面鳥のお食事の昼食後、
午後は国境を越えてクロアチアはイストラ半島へ。
世界遺産のモザイク画エウフラシウス大聖堂の残るポレチュ、
ローマ時代・ヴェネチア時代のイタリアやオーストリアの古い建築様式の
影響残る街のメインストリート“デクマヌス通り”を歩きました。
夏の間だけ働いて冬は何もしない(?)
というウワサの街の人々が陽気に覚えたての日本語で話しかけて来ました。
ガイドのアナ・マリアさんと6世紀のモザイク残る大聖堂へ。
日本は大和朝廷の時代の画が今もなおきらびやかに輝きを放っていました。
今ではめずらしい回廊のある中庭、八角形の洗礼堂をのぞきました。
後、バスでさらに南下をし、
イストラ半島で一番美しいとも称されるロヴィニィの街へ。


クロアチアではめずらしい新しいホテルパークでは
ホテルのロビーより素晴らしい旧市街を
一望する事ができました。
カモメたちの歌う海岸沿いを歩き、
海の透明さに驚かされ小魚を発見。
本日は21:00位まで明るかった旧市街、
メインスクエアのチトー広場より、
丘のてっぺんにある聖エウファミア教会まで参りました。
帰りはたくさんの画廊の並ぶ“芸術の小径”を
自由にホテルまで戻りましたが、
クロアチアの伝統画「ナイーヴアート(素朴画)」を探した方もありました。

ホテルでの夕食、たくさんのヨーロッパからの旅行客の人々が
夜おそくまでにぎわっておりました。

〈宿泊ホテル/クロアチア・イストラ半島・ホテルパーク泊〉

第4日

★第4日目 5月23日(土)

7:30ホテル発。イストラ半島を西から東へと横断し、
ウチュカ国立公園のトンネルをくぐると、お隣のクヴァルネル地方に出ました。
クロアチア一番の港町リエカにて一休み。
クロアチア全土の地図を入手しさらに南下。
クヴァルネル地方海岸も
Senj(セン)という街よりリヴェレヴィット山を登り、
カフェ・ジョセフィーナにてご休憩。
山の中のすがすがしい風を感じました。
山を降りて内陸の高速に乗り一挙にダルマチア地方へ。
北ダルマチア地方の中心地ザダルにてクロアチア風ブイヤベース
(本日はイワカサゴ)のご昼食(ポレンク:とうもろこしのかゆ付き)後、
いよいよ旧市街散策へ。
ガイドのリリヤナさんとともに城壁に囲まれた旧市街に入り、
聖ストシャ大聖堂→ローマ時代のフォロと聖ドナト教会、
おだやかな海の音色を奏でるシーオルガン、聖フランシスコ修道院等を巡りました。

かのヒッチコックも世界で一番美しいと絶賛したザダルの青は真っ青でした。
ザダルを出てアドリア海を南下。古都トロギールへ。

世界遺産に登録された旧市街をガイド・サーシャさんと見学。
聖イヴァン(街の守護聖人)
の北門前を通り街の中心イヴァッチパヴラ広場へ。
(ヨハネパウロ2世広場の意)

聖ロヴロ大聖堂では土曜日にて結婚式が開かれにぎわっていました。
後、ロッジア(中世の集会所&裁判所)→アイスクリーム広場→
カイゴス(ギリシャ神話の神で街のシンボル)。
博物館前を通り南門を出て海沿いのプロムナードを歩きました。
海のとりでカメレルンゴ要塞が遠くにそびえた様々な地より
発着する船乗り場所近くには朝・夜二部制の小学校がありました。
古い石だたみの細い路に入り、昔海洋貿易で富をなした貴族の家々の跡を見学し、
スーパー
KONZAMの前よりバスに乗り1971年建立、
旧ユーゴスラビア時代に建てられた70ヘクタールの松林に建つホテル。
1300人もの客を収容可能・・・
古き良き共産主義時代を忍ばせる懐かしき感じのホテルメデナにご宿泊。

<クロアチア・トロギール:ホテルメデナ泊>

第5日

★第5日目 5月24日(日)
7:30ホテル発。
途中古代ダルマチア地方属州ローマの州都サロナのあった街ソリンを通過、
クロアチアで2番目に大きなスプリットへ。

昨日のガイド・サーシャさんと共に宮殿内1Fの
昔倉庫として使われた地下の部分を見学し、
(南・銅の門)より宮殿の中心(皇帝の住居玄関)に進み、
カテドラル(元ディオクレティアヌス帝のはか)を眺めながら、
クロアチアのロダンと呼ばれる彫刻家・イヴァンミシュトロヴィッチの作である
グルグール司教“幸福のおやゆび”をさわって運をつけると、フリータイム。
市場に衣類や小物、乾物などの食品を買いに行かれた方、
60mの鐘楼に登られた方、西口(鉄の門)側に広がる新市街を見学に行った方も。
後バスにて、ダルマチア地方で1番美しいと言われる海岸線
“マカルスカ・リビエラ”脇をドライブ。
海の向こうには石灰岩や大理石の採掘で有名なブラチ島、
ラベンダー香るフヴァール島、これから進むペリシャツ半島、
そして遠くには同じくこれから向かうコルチュラ海が見えました。

ボスニア・ヘルツェゴビナ領ネウム手前のメトコヴィッチの
ネレトヴァ川沿いのレストランにてシーフードリゾットのご昼食。
クリームチーズのパイ・ベリーソースがけ等。
オレンジ畑に囲まれたカエルが名物の「ヴィラ・ネレトヴァ」
にてお召し上がりいただきました。

レストランを出るとすぐに国境を越えて
ボスニア・ヘルツェゴビナ領ネウムを通過。
車窓より塩田とカキの養殖で有名なストン・マリストンの
5km続く城壁を眺めながらペリシャツ半島先端の街オレヴィッチへ。

半島ではクロアチアで一番有名なワイン「ディンガチ」
生産のためのブドウの木がところ狭しと植えられていました。
オレヴィッチよりコルチュラ島へチャーター船での出発。

ガイド・アンドレアさんと共に旧市街散策。
ヴェネチア共和国の支配下にあったことのよく分かるライオンマークを
目にしながら中世の城壁をくぐり、風よけたり、
入れたりするために魚の骨のようにきれいに配列された街を歩きました。
入ってすぐにロッジア(現市庁舎)と旧医者の家があり、
メインストリートを進んで聖マルコ広場へ。
本日は中に入って、アルメリ家によって購入されたヴェネチア画派の巨匠、
ティントレットが若き日に描いた有名な「三人の聖人」
(聖マルコ・聖ジェロニモ・聖バルトロマイ)が収められていました。


最後にマルコポーロの生家とされるマルコポーロの家へ。
現在は民家だったものを市が買い取り博物館としているそうな。
崖の切り立つ半島をドライバー・ゴランさんのドライヴで安全に進み、
半島つけねのストンにて、魚のフライ・ストーンケーキの夕食。
レストラン・コロナ(かんむりの意)
はカキや塩の生産で世界的な賞を獲得しているレストラン。
カキをオーダーしてお楽しみいただいた方もおりました。

店のいけすの中には保護されたカメもおりました。
ドブロブニクまで1時間程、
途中初代大統領トゥージマンの名が付けられた橋を渡ると
新市街の美しい街の明かりが見えて来ました。

海沿いのネプチューンホテルに連泊です。
〈クロアチア・ドブロニク:ホテルネプチューン泊〉

第6日

★第6日目:5月25日(月)
8:00出発。旧市街ピレ門までバスで10分。
一度通り越して高台より全体を写真に収め、レヴェリン要塞というとりでより、
街に25体ある守護聖人の1体目を数え、
北にそびえるスルジ山を眺めながら旧市街の中へ。

のどにつまった魚の骨を取ってくれることで知られる街の守護聖人
・聖ヴラホに出迎えられて中に入ると、公共水道オノフリオの噴水、
そして300m程のプラツァ通りには地震でも生き残った「救世主教会」、
クロアチアで一番古い薬局のあることで知られるフランシスコ修道院が並びました。
ちょっと裏道に入り、北側の地震のうけなかった中世の建物の数々をご覧頂くことに。
シベニックの聖ヤコブ教会を建てたユライ・ダルマティナッツ建立の館には
200歳のブドウの木などがご覧いただけました。
税関のあったスポンザ宮殿(現古文書館)や聖ヴラホ教会の残る
ルジャ広場にて時計塔やローラント像(中世の時代の長さの基尺としてもちいられた);
続いて並ぶ旧評議会会場、旧総督府、
ヴェネチアの巨匠ティツチアーノの聖母マリア被昇天の画が捧げられた大聖堂等見学。
旧港を歩いた後、城壁めぐり入口にて解散。
約2kmもある城壁を1周した方もおりました。
青い海と赤屋根の街並み、のんびりとした旧市街の
海のある人々の生活が近くにせまりました。入口の「オノフリオの噴水」前集合。

門出てすぐ近くのミモザレストランにてイカフライの昼食後、
午後はモンテネグロはコトルへ出発。
世界で最も美しい25の湾のうちのひとつに選ばれた
コトル湾の周りをバスで1周し、
モンテネグロ(黒い山)の名にふさわしい小国の古都コトルまでドライブ。
ヴェネチア統治時代の面影残る旧市街をおしゃれな靴(50*?)
でやってきたナダさんとご散策。
武器の広場→ベツクサの宮殿(こじきという意の名を恥じて
街に百の家を建てようとした)、
ピマ宮殿、ブッチャ家宮殿、コトル大学観光学部(小麦の広場)→
聖トリフォン大聖堂(開いていることのない街の歴史アーカイブス)を
見学中に急な夕立ち発生。
急きょカフェでお茶をのんで雨やどり。
海洋博物館の広場を通り、東方のキリスト教会2種、
聖ルカ教会・聖イヴァン教会には音楽学校があり、
かわいい学生たちが窓から顔を出していました。
聖クララ修道院の前をすぎると、武器の広場に戻りました。
帰りはコトル湾をフェリーで渡り、国境を通過してホテルへ。
見送ってくれた青年、ダイアンもいました!!

<クロアチア・ドブロブニク:ホテルネプチューン連泊>

第7日



★第7日目 5月26日(火)
8:00ドブロブニク発。
ボスニヤヘルツェゴビナ領、ネウムを通過し一度クロアチア・メトコヴィッチに
入ってから再びボスニア・ヘルツェゴビナへ。
運転手ゴランさんが警察に連行(??)、アキシデントもありましたが無事モスタルへ。

モスタルではチバチッチの昼食後、1992年から1993年、
内戦中に完全に壊されながらも再建され2004年には世界遺産に再登録された
橋「スタリ・モスト」(石橋)をごらんいただきました。
周囲の旧市街も見事に再建され、トルコ式の敷石「カウドウルマン」の
道沿いにはバザールが開かれ、モスクも並んでおりました。
カトリックの大聖堂脇の駐車場よりバスに乗り、
一路プリトヴィッツェへ。
約6時間かけての長距離移動。
ホテル着後、夕飯はビーフストロガノフにデザートは
ヤブカ(りんご)をお召しあがりいただきました。

<クロアチア・スラボニア地方:ホテルベルビュー泊>

第8日

★第8日目 5月27日(水)
8:25分ホテル発。
日本大好きのガイド・マリアさんと出発。
世界遺産のプリトヴィッツェ湖群国立公園観光へと向かいました。

大小92の滝が点在。
湖は石灰岩の水底で浄化されとても美しいエメラルドグリーンに輝き
湖畔にはマスやウグイやコイがよって来ました。
カモや昨日はクマも現れたそうな!!
この度は1番標高の低い(483m)の大滝(78m)のある所から
コジャック湖の電動ボート(100人乗り・カワウソ号)のりばまですすみ、
少々の休憩ののち湖をボートですすみ、
後半は公園上方の湖カルロヴァッツ湖まですすみ、
電車のように3つの車両のつながるエコバスに乗り、
私達のとまったホテルヴェルビューまで帰りました。
約2時間程歩いてのハイキング。

最後にたくさん歩いてのご昼食は
プリトヴィッツェのマスとアイスクリームを近くのコレニッツア村にて召し上がり、
午後は最終目的地ザグレブへ。
日本語を独学でがんばるガイドさん、ユリッツアさんの案内で、
カテドラル、市場のあるカプトルの丘、聖マルコ教会、国会議事堂、
政府官邸のあるグラデッツの丘を歩き、
新市街のメイン広場「イラチッチ広場」にてフリータイム。
夜はユーゴスラビア時代の良き時代のふんいきただようホテルにてバイキングのご夕食。

第9日

★第9日目 5月28日(木)

朝5:40 発。
10:40LH3631便にてフランクフルトへ。
13:55 フランクフルト発 LH710便にて成田へ。
(途中のSAで一行の写真)
(山田かおり さんと ドライバー)

第10日

★第10日目 5月29日(金)

7:50 成田着。
各目的地までどうぞお気を付けてお帰り下さい。
ありがとうございました!!